もっか

とりとめのない

2023/11/16

「しずかなインターネット」をアカウント登録して、いざ何か書こうとしたときに思い出した。

ここの存在を。

しずかである。

そして、最近のインターネットはたしかにうるさい。

Xは、おすすめに出てくるよう「さらに表示」を押させるようなポストばかり。日本語ならではの短文が美であったTwitterは終わった。

あちらこちらで消防車も出動してる…

LINEは、よくわからんボタン押せば、知らん人が出てきてなんだか楽しそうな動きをしている。ニュース欄を開けば、誰やねんと思うニュースを見出しに誘われクリックしてしまう。

インターネットの海にただよいたい…

5月21日(木)

今更ながら「おとちん」を読み始めた。漫画版。町の図書館も開いたので小説版も借りて読もうと思う。

初動の二人の大学時代、彼が社会人になった頃あたりは涙が込み上げてきてしまった。

なんだか時の流れがなつかしいとのさびしいのと。

その後、思いをめぐらせてしまってなかなか眠れなかった。最近なんだか不眠症なのは冬用の布団とパジャマのせいか。

いまの自分は、妻であり、母であるけれど、なんにでもなかった大学生時代、なんにでもなれたあの頃、私が私であるための大切な記憶。

大体何かを思いめぐらせる時は大学時代を思い出すんだけど、その記憶もどんどん薄れていくのを感じてかなしくなってしまった。

私の好きなものってなんだっけ、

 

小説や漫画を読むとどうも感傷的になる

2月20日(木)

今日は、家事をひたすらした。

掃除機、洗濯、シーツ洗い、角煮作り、

炊き込みご飯作り、…

昨日は幼稚園関係のことがあって、ひたすら人と話したのでどっと疲れた。

昔(大学時代や新社会人時代)よりかは、自分を出すのが上手になった。と思う。

けど、いきなり出しすぎたかなぁ、引かれたかなぁと、帰ってから猛省するのは変わってない。

そんなわけで疲れた翌日は、家事に専念して荒れてた家も心もすっきりさせるのだ。

なんていい生活。

会社勤めだったらこうもいかないよね。嫌なことあった次の日も普通に変わらず仕事だし、さらに嫌なことがあるかもしれない、逃げられない。

今は自分の裁量で出来る。

なんて優雅な生活。

 

 

タイトル

タイトルが定まらない。

ほんとは「2020/02/08」がいい。

けど10年使ってるATOK キーボードで「今日」と変換すると西暦なしの日付しか出てこない。

「2月8日(土)」

西暦ありで出てくるのはGoogle日本語変換。

いまさら変えるのも少し億劫。

 

昨日は16歳~20歳くらいまで書いてたブログに久しぶりにログインして、恥ずかしすぎる文体の日記をぱらぱらと読んだ。

なぜそんなことをしていたのかというと、中学時代の友人がネットラジオで昔話をしていたからだ。

その日、夫が出張でいないのもあって完全にその頃に戻ってしまった。

 

いま子ども第一線で過ごしていて忘れていたけど、自分も必死ながらも楽しく生きていたなーと。

そうやって自分の生きてきた道を振り返られるように、瓶の中の蜜を舐めるように、日記を書き残していきたい。

家族とか愛とか

第二子妊娠、里帰り中。

妊婦、二歳児、弱ってる祖母、甲斐性のない父、半引きこもりの弟、働いて皆の面倒見て疲れ切っている母。

自分の家族を作ろうとしてるときに、実家のクソったれな部分を見ると悲しくなる。

なんつーか、愛が感じられない。

ああ、自分ここで育ってきたんだなって。

結果として現れてる、自分も家族に対して思いやりないもの。

クソったれだなと思うけど、思うだけ、何もしない。

愛ってなんぞや。

みんながみんなに辛く当たってる気がしてならない。そんな姿を見てたら子どもだってそういう態度取るよね。

母は実母の祖母とよく喧嘩をしてた。

父は母を大事にしていたか?

自分の子を連れてきたからよくわかった。

ある人がある人にそういう態度を取っていいんだと分かると、人はすぐそれを真似する。

自分もそうやって育ってきてしまった。

大人になったから少しは考えられるようになったけど、染み付いてしまったように思えてならない。

これから作る自分の家族は、みんながみんなを思いやれる家族がいい。

そう思わせてくれたのは夫だ。

夫は私のことも息子のこともとてもよく褒めて大切にしてくれる。ちゃんと口に、態度に出してくれる。人前でもだ。

私はそれを恥ずかしいことだと思っていたが、そうした行為は素晴らしいことだと思う。

私は褒めることが苦手だ。うまく出来ない。そもそも感情を口に出すことが苦手だ。

そんな自分にそんな家族が作れるだろうか。

 

自分の家族が実はクソったれだったというのも本当は受け入れたくない。

家族の在り方は変化する。

誰かが病気をしたり、巣立ったり、戻ってきたり、死んだり、

今はそういう時期なんだと思おう。

ここで育ってきた自分を素直に受け入れて、感謝したい。

 

いまは第二子を待ち望んで、キラキラしている私たち家族。

きっと私たちにもどんよりとした時期がくるだろう。

私はそれを悲観してしまうけど、素晴らしい夫がいるから大丈夫。けど

…そんな夫が変わってしまったら?

私は支えきれるだろうか………

 

7月22日(月)

夫と冷戦っぽいことになっている。

正しくはお互いが悲しい気持ちになって話し合いもクソもなくなったという感じなんだけど。

里帰り中。

LINEで会話すると大体こうなる。文章での会話は感情の機微が分からないから本当によくない。

 

話題は、子を「好き」かどうか。

夫は子どものこと「超好き」なんだって。

私は単純に「好き」だと言えない。

それが自分自身結構後ろめたく思ってるようで、夫のよく言う「超好き」に自分を否定されてるようで嫌だった。

私は夫のように感情を出さないから、夫はそれを不安に思い聞いてくるのだ、「子どものこと好きか?」って。

私はあなたの物差しではからないでと伝えた。比較しないで。と。

普通に好きだと答えて彼の不安を取り除いてあげればそれ以上にならなかった。真面目に答えすぎた。

でも、そうやって考えて分かった。

今まで自分の子育てに自信がない、子どものことを愛せてるのか分からなかったんだけど、私はきっと夫とは違う愛情を持って子どもを育てているんだ。

責任感とか自分の弱さと向き合うだとか、色んな感情が日々渦巻いていて、夫のようにストレートに言えないけど、きっと大丈夫だろう、もっと自信を持とう、と。

 

そんな自問自答を繰り返しながら、寝かしつけをしていたとき、

子どもが「ぼく、おかあさん、すき」と言って、えへへ、と笑った。

 

息子がこんなハッキリと自分から「好き」と言ってくれるのは初めてでびっくりして嬉しくて暗闇でコッソリ泣いた。

 

ありがとう。

私のやり方でも、子どもに幾ばくか伝わっていた。

私は私だ。

一番人と比較してたのは自分だった気がする。

これからも肩の力を抜いて頑張ろう。

 

夫とは明日仲直りする。